いろいろな宗教について(8)

「電車の中 」

 水曜日の朝、電車に乗ったら、混んでいた。荷物を棚に上げてボーっとしていたのだけど、リュックの背負い紐が少し垂れ下がっていた。自分の目の前に垂れ下がっているだけだから、気にしなかった。

 

 次の駅で、どどっと人がたくさん乗り込んできた。もがもが体を動かしただけで、やっぱりボーっと立っていた。すると、後ろで殺気を感じた。

 

 男がものすごく怒っている。リュックからたれた幅5センチくらいの紐が邪魔だというのだ。その紐の所為で外が見えなくてうっとおしいと。私はおもむろに、たれた紐を棚の上にたくし込んだ。しかし男は、鼻息荒く、まだ怒っている。ふとポケットに手を入れたら、飴玉が入っていた。私はその飴玉を出して、ひとつ食べ、怒っている男に、差し出した。「おひとついかがですか?」

 

「なんだいこれ、」と男が言った。「カルシウム入りのキャンディーです。落ち着きますよ。」男は変な顔をして、それを口に入れた。私は知らん顔をしていた。

 

 北千住で降りるとき、男は、私の背中に声をかけた。「カルシウム、ありがとう。なるほど効くねえ」

 

 あっはっは。あのキャンディー、カルシウムなんか入っていない、ただののど飴だった。

 

 夕方、また電車に乗った。シルバーシートが空いていた。前に二人、人が立っていて、談笑している。ちらりと見たが、座りそうにない。私は安心して腰を下ろした。前に立っている二人の会話が聞こえてきた。

 

シルバーシートってよう、何歳から座っていいんだろうなあ。俺61歳だけど、だめかなあ。」相手が答えていった。「座りたきゃ座ればいいじゃないの。若いのだって座っているんだから。」「でもよー、座りにくいじゃないか。」と男が言った。「ここに、何歳からって書いておいてくれればいいんだけどなあ。61じゃ、権利あるのかないのかどうかいつも迷うんだよ。」なんだか、酒臭い。少し酔っているらしいが、この61男、案外善良なんだ。

 

 会話を聞いていて、おかしくなり、私は一人で噴出した。そうしたら、二人とも、私に話しかけてくる。「何歳だって、空いているんだからかけたらいいでしょうに」と私はいった。「私は66ですよ。別に歳でかけているんじゃなくて、疲れていてね。」男はそれでも座らなかった。「俺、61に見えないからなあ。元気そうに見えるから、権利ねーって、人が言うよ。」

 

 私は提案した。「じゃあ、胸に61って、看板かけておいたらいかがですか。」

 

 男は、面白がって、どんどん話題を向けてきた。「あんたが66って看板先にかけてよ。そうしたら、俺もそうするから。一人じゃ、恥ずかしくて、できねーよ。」男は酔いが回ってきたのか、どんどん声が大きくなって「恥ずかしい」「恥ずかしい」「あんたは恥ずかしくねーのかよ」という。

 

 私はぶひひと笑い、男をかわすため、図書館から借りた本を読み始めた。その本、「マザーテレサへの旅路」。

 

 男はそれを見た。そして、私の顔をまじまじと見、酔いがさめたような顔をして降りていった。

私って、凄く変なんだろうか。。。

 

「整備されていない爺さん」 

 土筆を探しに野原に出た。このところ、野原も畑も土手も「整備」されてしまって、土筆のような野の住人がなかなか見つけられない。

 人は皆、バッタも蟷螂も住めない「整備」された灰色の道を愛し、出会う人にも挨拶もせず、競歩だのジョギングだのをして、自分ひとりで長生きしようとしている。「体を鍛える」というのは、空も見ず、花も見ずに凄い顔をしてひたすら歩き、汗を流して得られるものなのか、はなはだ疑問である。

 ばかばかしい、と一人異常人間の私は地面を見ながら土筆を探していた。そうしたら、「整備」にめげずに頭をもたげている土筆を見つけた。おおー!と私は叫び、地面にはいつくばって、土筆に挨拶した。「えらいぞ、えらいぞ、よくでてきたなあ!」

 

 土筆は「おう、おめーも元気だなあ」と答えた。(うるさい!絶対に答えたんだ。)

 

 そのとき、私の後ろで声がした。「そこに何があるの?」見ると、ぼろを着た爺さんだった。お!この爺さんは「整備」されていないな。思わず親しみを込めて、返事した。「ほら!土筆ですよ、土筆。」「おお、土筆が出てきたか。どれどれ」整備されていない爺さんも、土筆を見て喜んでいるらしい。

 

 最近、なかなか見つからないんですよ、といったら、そおだなあ、昔は富士川のほうにあったけどなあ、と答える。

 

 その富士川のほうにあったのだ。ちょっと前までは、富士川の土手は草ぼうぼうで、バッタも蟷螂も健在だった。蚋も蚊も蜂も飛んでいた。めったにジョギングの人に、会わなかった。散歩で挨拶を交わす人は、草を掻き分けゆっくり歩いていた。ところが、数年前、土手の上が舗装され、バイクも車も通れるになり、ジョギング男や競歩女が上ってきて、会う人、誰も挨拶を交わすことがなくなった。もちろん、狸にも出会わないし、バッタは交通事故で死骸になっていた。

 

 あんなところ、行くもんかと思って、私は別の散歩道を開拓しようと探したのだけど、2時間も歩かなきゃだめなので、近場にはいつくばって、何とか生き残っているものを探して歩いている。やっと土筆に出会って、うれしかった。土筆と手を取り合って再会を喜んでいたら、「整備されていない」爺さんに出会った。こういう爺さんを私は好む。(2021.3.29)